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ラ・ラ・ラ・メディテーション

ラ・ラ・ラ・メディテーション

ルーミーについて

「メブラーナ・ジェラ-ルッディン・ルーミー 」について。rumi4

    
1207年 アフガニスタン生まれ。教育熱心な父と共に、中央アナトリアにやって来た彼は、そこで結婚。セルジュク朝のスルタン・アラアッディンに請われ、コンヤに移り住んだ。父の教育を受け、神学校の教師としてばかりか、詩人・思想家としても成功を収めていた彼は、Shams-i Tebriziという多くの弟子を持つ老僧と出会い、神への愛を学び、人生が一変するほどの影響を受ける。やがて、Shamsが去った後、ルーミーは哀しみに暮れ、各地でセマーを舞いながら、Shamsを捜す旅を繰り返し、10年の間に、神への愛について書かれた、すべて同じ韻律の3万ものペルシャ語の詩を残した。こうして、彼を慕う者達が集まり、神への愛を説くスーフィー教団の一派が誕生。
教団は、比較的、裕福な階層の人々の支持得て、オスマン朝でも存えるが、1923年のトルコ共和国の成立による近代化政策の流れの中、解散に至った。ルーミーは1273年に逝去したが、彼の宮殿や住まい跡などは、現在、コンヤには残されていない。しかし、コンヤの人々の心に、彼は生き続けていると言われており、今日でも、毎年、命日である。12月17日とその前後の数日間、セマーの儀式が行われている。


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ルーミーはイスラム教神秘主義に属する、スーフィー教の詩人である。一二〇七年九月三〇日、当時はペルシャ帝国の一部であったアフガニスタンのバルクに生まれた。後、モンゴルの侵攻を避けるためトルコのコンヤに移住した。父親は宗教学者、法学者、神秘主義者であり、その高弟によってルーミーは宗教家としての教育を受けた。父親の死後、デルビーシュの一教団における指導者の地位を受け継ぐ。デルビーシュとは、神秘体験を得るために修行をする者を指し、托鉢や激しい円舞などを特徴とする。
 
一二四四年、ルーミーは放浪のデルビーシュ、タブリーズのシャムスと出会う。彼はシャムスからとある宗教上の質問を受け、驚愕のあまり地に倒れ伏してしまう。その内容については諸説あり、定かではない。短い質問ではあるが、あまりに根源的な問いかけを含んでおり、それを瞬間的に察知したのだと言われている。実はシャムスは、彼の質問に答えられる者を探して諸国を旅していたのだが、コンヤに向かえという啓示を受け、ルーミーのもとにやってきたのである。
 
ルーミーは、その質問に、見事に答えることが出来た。そしてシャムスと、断ちがたい絆で結ばれるようになった。
 
彼らは一カ月間、余人を交えずひたすら話をし続けた。ルーミーの弟子たちは、師に忘れ去られたと感じた。たちまち教団の運営に支障が生じるようになり、争いの兆しを感じ取ったシャムスは、現れたときと同じように、急に姿を隠してしまう。

ルーミーが詩を書きだしたのは、そのときからだと言われている。後になって、シャムスがダマスカスで暮していると知ったルーミーは、息子を遣わし、彼をふたたびコンヤに迎えた。シャムスはルーミーの家に留まり、家族のなかのひとりと結婚した。 再び、謎に満ちた長い会話が始まった。と同時に、今回もやはり、教団内に嫉妬が蔓延する。
 
一二四八年一二月五日、二人の対話の最中、裏口に呼び出されたシャムスは、外に出たきり、二度と戻っては来なかった。教団内の何者かに、暗殺されたのだと言われている。
URL:http://www007.upp.so-net.ne.jp/kaban/2000/July/1satu.htm
(鉄夫の部屋より)
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 ルーミー(1207~1273)を創立者とするイスラーム神秘主義教団(タリーカ)。ペルシア語詩人としても有名なルーミーは小アジアのコンヤの町で宗教活動を行い,彼の後継者たちによってこの教団がつくられた。オスマン=トルコ帝国時代には,この教団は小アジア・バルカン半島の各地にひろまり,有力な教団となった。この教団のデルウィーシュ(修業者)たちは,音楽にあわせて旋回舞踏を行い,神との合一をめざした。この特異な宗教行事のため,この教団のデルウィーシュたちは「踊るデルウィーシュ」の俗称で有名となった。このメウレウィー教団は,当初より,オスマン=トルコ帝国のスルタンたちの支持を受け,社会の上流階級との結びつきが強く,エリート的性格・正統的な立場で知られている。1925年には,他の教団とともに,この教団の修道場(テッケ)もケマル=アタチュルクによって閉鎖を命じられた。 http://www.tabiken.com/history/doc/S/S086C100.HTMより


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ルーミーは……有名なペルシアの聖人で、エクスタシーの熱狂の中で、自分は神にほかならぬとしばしば断言したビスタームのバーヤズィードに関する次の逸話を伝えている。

「ある時、このような体験の後に我に返って、自分が叫んだ冒涜の言葉を知った時、バーヤズィードは弟子に、万一自分がまたそのような罪を犯したならば、短刀で彼を刺し殺すようにと命じた。」

ここで典拠としてあげられているのは、ルーミー(西暦13世紀ペルシアの神秘主義詩人)の長編詩「精神的マスナウィー」

狂気の嵐は彼の理性を奪い去り、
彼は以前にも増して冒涜の言葉を吐いた、
「我が衣の下に神のみぞ在り、
天地に神を求むれども」と。
彼の弟子たちは恐怖に駆られ、
彼の聖なる体に彼らの短刀を刺した。
各々が師の体をめざして──
打ち下ろす刀ははね返され、打つ者を傷つけた。
霊的賜物を有する人に刀は通用せず、
弟子たちが切られ、血の海に溺れた。 (ルーミー)
http://www.fuchu.or.jp/~d-logic/jp/books/hinatsu.htmlより



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